にふじのブログ

わたしの「根っこ」

信用

ラベンダーの花言葉、不信感

小学生の時、私は勉強は好きではなかったし、成績も悪かったけれど「先生」に気に入られたくて「いい子」でいようとしていました。

 

気に入られたいと言うより認めて欲しかったのかもしれません。

 

親がだめなら、代わりの大人で埋め合わせをしようとしていたのかもしれません。

 

今考えれば幼稚な発想だったと思います。

 

 

 

小学校5年生の時のことです。

 

ある日、突然学級会が開かれました。

 

本来であれば帰りの会の時間でした。

 

先生は厳しい顔をして教室に入ってきました。

 

私は明らかに怒っている先生の顔を見て嫌な感じがしました。

 

先生は私たちを席につかせると静かに話し始めました。

 

先生の話した内容はこうです。

 

 

私たちクラス全員が一人の生徒を「いじめている」と。

 

どうやらその子が自分のお母さんに相談し、その子のお母さんから先生にどういうことかと学校に連絡があったようです。

 

 

その子の話によると「いじめ」は以前からあって、ことあるごとにからかわれ皆から笑われていた、とのこと。

 

そして先日、気に入っていたヘアゴムを学校につけていったところ、それもまた笑われて学校に行くのが嫌になったそうです。

 

先生がその子に誰がそんなことをしたのか聞いたところ、クラスの生徒のほとんどの名前が出たそうです。

 

 

 

この時点で私たちは意味がわからず混乱していました。

 

みんなあちこちで顔を見合わせて「何のこと?」という顔をしていました。

 

すると先生は持っていた学級日誌で思い切り教卓を叩いて「静かにしなさい」と怒鳴りました。

 

教室は静まり返りました。

 

 

それから先生は一人ずつその場に立たせ質問をしました。

 

「なぜあの子のヘアゴムを笑ったりしたのか?」

 

「なぜあの子をいじめたりしたのか?」

 

 

最初に立たされた子も何のことなのかわかっておらず、何とか

 

「…知りません」

 

と答えました。

 

すると先生にまた火がつきました。

 

「知りませんじゃない」

 

そう言ってまた机を激しく叩きました。

 

離れた席に座っていた私にもその子の肩がビクとなったのがわかりました。

 

そしてその子は小さな声で「…すみませんでした」と言い直しました。

 

先生はそれで満足したのか次の生徒を立たせました。

 

 

クラスのほとんどが最初の子を見て、これは何を言ってもダメだと感じていました。

 

次の子も、その次の子も大人しく「すみません」と言い、先生は「次、立ちなさい」と繰り返しました。

 

 

ですが中には最初の子のように「知りません」と答えた子もいました。

 

聞いている私たちはヒヤリとしましたが、先生はその子を怒りませんでした。

 

単純な話ですが、たぶんその子の名前はリストになかったのだと思います。

 

他にも何人かそういう子がいました。

 

 

その子達を見ながら私も「違う」とはっきり言えばわかってもらえると思いました。

 

「いじめられた」と言った子とは話した事もほとんどなかったし、ヘアゴムを笑った覚えもありません。

 

そもそもつけていることすら気づいていなかった上に、クラスの誰かがそれを笑っているところを見てもいませんでした。

 

私の中で「いじめはしていない」という思いがありました。

 

 

そして順番が回ってきた時、私は「知りません」と答えました。

 

ですが先生は怒りました。

 

「あなたにヘアゴムを笑われて、どれだけあの子を傷つけたのかわかっているのか」と。

 

私は私に対して怒りをぶつける大人が怖くてそれ以上何も言えませんでした。

 

ですが、ここで謝らないと先生の怒りは収まらないだろうと、一言「すみません」と言いました。

 

先生はさらに続けました。

 

「何にすみませんと言っているのか」と。

 

私は何にも「すみません」とは思っていませんでした。

 

あの子にも、先生にも。

 

ただ早くこのピリピリとした時間を終わらせたくて

 

「笑ったかもしれません。すみませんでした」

 

と嘘を言いました。

 

先生は教卓をバンバン叩きながらさらに怒りました。

 

「かもしれないとはどう言うことか。きちんと認めなさい」

 

そんな事を叫んでいたような気がします。

 

 

だけどあの時私は何を言えばよかったのでしょうか。

 

先生は「知らない」と言う私の言葉を聞いてはくれなかったし、あの子を笑ったと決めつけていました。

 

最初から話を聞く気のない人に何を言っても通じなかったでしょう。

 

 

クラス全員を怒って先生が教室を出て行った後、みんなが自然と集まって「心当たりがあるか」という話になりました。

 

誰も、何の心当たりもありませんでした。

 

 

さらにその学級会の後、その子の家に謝りに行くように言われました。

 

どういう基準で選ばれたのかはわかりませんが、私を含め数人でその子の家に行き、その子とその子のお母さんに頭を下げました。

 

子供ながらに屈辱でした。

 

 

 

先生の立場からすれば自分のクラスでいじめがあったなんて問題になるでしょう。

 

保護者からも連絡があれば焦る気持ちもわからなくはないです。

 

本当のところはわかりませんが、ただ純粋にいじめにあっている生徒を救いたいという気持ちから周りが見えなくなっていただけなのかもしれません。

 

私もいじめには反対です。

 

ですが、一方の意見だけを聞いてもう一方の意見は聞かないというのは子供ながらにおかしいと思いました。

 

みんな内心「自分はやっていない」と思いながら、謝りました。

 

ですが先生は私たちではなく、あの子を信用しました。

 

私は先生に気に入られたくて「いい子」の振る舞いをしていましたが、結局は先生の信用に足らなかったようです。

 

 

そしてこの「いじめを受けている」と言った子ですが、この騒動がきっかけになったのか、その後卒業するまで度々警察のご厄介になっていました。

 

学校の近くに大きなスーパーがあったのですが、そこに停めてあった自転車のタイヤに釘を刺してパンクさせたそうです。

 

1台や2台ではなく数十台単位です。

 

あまりにも数が多かったので警察が巡回していたところ現場を押さえられたそうです。

 

他にも別のスーパーで何度も万引きを繰り返したそうです。

 

 

彼女が何を思って、どう言う理由があったのかはわかりません。

 

手段は間違えていると思いますが、もしかしたら彼女も私が先生に対して「いい子」の振る舞いをしていたように、誰かの気を引きたくてそんな事をしていたのかもしれません。

 

そして気を引く、ということだけを言えば彼女は成功しています。

 

自分の行動で親も、先生も、警察の気も引いていたので。

 

 

私はというと、それでも「先生」に対して「いい子」でいようとすることをやめられずにいました。

 

もしかしたらまだ両親以外の大人に何かを期待していたのかもしれません。

 

ただ、「認めてもらいたい」という気持ちは無くなっていました。

 

その代わり「私は無害な人間です」とアピールする方向に変わっていました。

 

 

他人から怒りをぶつけられる事を避けるには、自己主張をせず、当たり障りのない人間でいることが安全なんです。