王様でいたい父
父が帰宅する時間になるといつも緊張の連続でした。
帰ってくるといつもけたたましいチャイム音が家中に響いていたからです。
どうやら父の不機嫌スイッチは家に帰ってくると発動するようです。
チャイムを連続して押し続け、誰かが出迎えるまでそれを続ける。
絶対に自分で玄関を開けることはありませんでした。
カギが開いていても、いなくても関係ありません。
誰かが出迎えなくてはなりませんでした。
ですが出迎えたからといって特別何かがあるわけではありません。
ただ、誰かが自分のために玄関を開ける、という事にこだわってっているようでした。
そしてある特定の方にも厳しく当たっていました。
新聞の集金の方です。
今はどうか分かりませんが、私の小さい頃は各家庭を一軒ずつ集金して回っていました。
新聞を取っているのだから集金に来るのは当然なのですが、父や母がいない時に集金に来られることが度々ありました。
その時は「出直します」と言って後日来られるのですが、父はそれが気に入らなかったようです。
集金に来た女性に向かって怒鳴っていました。
「客の都合も考えずに来るな、失礼だ」
「来るときは電話で連絡してから来い」
という内容です。
それから集金に来られる時は必ず電話が入るようになりました。
「今からお伺いしてもよろしいでしょうか?」
そう言う女性の声は毎回違う方でした。
父曰く
「客商売なんだからこんなことは当たり前」
「常識がない」
らしいです。
今になって考えると、父がこのように振る舞うのはマウントを取れる相手に限定されていました。
どれだけ暴言、理不尽なことを言っても問題ない相手、自分より立場の弱い相手だった気がします。
毎日、毎日、毎日
私たち兄妹は両親が喧嘩を始めても、次第に隠れるのをやめるようになっていました。
いつからと聞かれるともう覚えていませんが、目の前で拳が振り上げられようが、ガラスが割れようが
「また始まった」
くらいにしか思っていませんでした。
いつもTVを見ながら食事をしていて、最中に喧嘩が始まっても物が飛んでこないところに移動して同じ空間で食べ続けていました。
TVは父の大好きな野球中継。
BGMは父の怒鳴り声と母の金切り声。
「うるさいなぁ…」
そうは思ってもTVを消すことはできませんでした。
父はある球団のファンで、この家の決定権は全て父にありました。
かといって喧嘩を止めるという選択肢もありませんでした。
これが日常なので「おかしい」と感じたことがありませんでした。
ですが、例えおかしなことだと思ってもきっと止めには入っていなかったと思います。
子供から見る大人の本気の喧嘩は恐ろしいものです。
それにいくら二人が喧嘩をしても、私たち兄妹には手を上げないということが分かっていました。
放っておけばそのうち終わることなので、ただ部屋の隅で食事をするだけでした。
毎日毎日、よく飽きないものです。
私はそんな両親の姿を見て育ちました。
兄もそうです。
でも、あの二人に私たちの姿は映っていなかったように思います。
私の最初の記憶
私の一番最初の記憶は一つ上の兄と自宅の階段に座っていたことです。
二人でただじっと座っていました。
階段の隣には両親の部屋があって、そこからは毎晩父の怒鳴り声と母の叫び声が聞こえていました。
ものを投げる音や叩く音、体が壁にぶつかったような振動が家中に響いていました。
いつも
「まだ終わらないのかなぁ…」
なんて思っていました。
あまりにも長い時はこっそり様子を見たこともありました。
父親が母親の髪の毛を掴んで殴っているのを見て
「あぁ、今日は長いかもな」
これが私にとっての日常でした。
そのことを特に疑問に思うこともありませんでした。
いつからそうだったのかは分かりませんが、少なくとも私が物心ついた時にはこんな調子でした。
ただ、両親はどんなに喧嘩をしても私たち兄妹に手を上げることはありませんでした。
毎日食事も出ていたし、学校にも行っていました。
だけど家族としての会話はありませんでした。
たぶん他所の家庭では団らんの時間というものがあると思うんですが、その時間はいつだって喧嘩が始まる時でした。
何がきっかけだったのかは全く覚えていません。
気がついた時にはいつも父の灰皿が飛んでいました。
こんなふうに急に始まるので、私たち兄妹は別の場所へ移動するだけでした。