にふじのブログ

わたしの「根っこ」

よくわからない人

キンセンカの花言葉、寂しさ

 

いつだったかはもう忘れてしまいましたが、私は母に離婚を勧めた事がありました。

 

勧めた理由は「父が暴力を振るうから」ではありません。

 

ただ夜遅くまで隣近所に罵声が響くほどうるさかったのと、喧嘩の後泣きながら私の布団に入ってくる母がとても鬱陶しかったからです。

 

 

「そんなに喧嘩するくらいなら離婚しなよ」

 

そう言いました。

 

母は黙っていました。

 

「毎日喧嘩ばっかりじゃん」

 

黙っていました。

 

返事をしない母に少し苛立ちを感じながら

 

「いいから離婚届取ってきてよ」

 

私の口調がきつくなっても黙っていました。

 

私は呆れました。

 

「わかった。離婚届は私が取ってくる」

 

本気でした。

 

 

 

別に母を救いたいとか、可哀想だと考えたわけではありません。

 

ただ布団に潜り込んでくる母が気持ち悪かっただけです。

 

 

母はここで初めて私の言葉に反応しました。

 

「それは、ちょっと待って」

 

 

 

私にとって母はよくわからない人でした。

 

つかみどころがない、というか何を考えているのか分からないというか。

 

毎日喧嘩することをおかしいとは思っていませんでした。

 

ですがこれだけ喧嘩をしても離婚しない、したくないというのはどういう気持ちなんだろうと当時は本当に不思議でした。

 

 

 

それから後に話を聞いていると、どうやら母は人目を気にして依存するタイプの人でした。

 

 

結婚しないことは恥。

 

離婚は恥。

 

離婚すると相談できる人がいなくなる。

 

 

こう考えていました。

 

 

 

そもそもなぜ父と結婚したのかというと、私の祖母から

 

「お前は結婚なんかできん」

 

そう言われて頭にきたそうです。

 

その時ちょうど職場の同僚であった父の姉からお見合いの話をもらい、結婚したそうです。

 

 

お見合いを否定するつもりはありません。

 

私が疑問なのは、「頭にきたから結婚した」と言う理由がわからないのです。

 

 

 

次になぜ離婚しなかったのかと言うと

 

「周りになんて言えばいいの。恥ずかしい」

 

だそうです。

 

 

母の言う「周り」とは親戚関係のことらしいのですが、親戚にも離婚を経験している人はいました。

 

「周り」の親戚とも法事でもない限り連絡すら取っていませんでした。

 

毎晩お互いを罵り合う喧嘩を、隣近所の方に知られるほうがよっぽど恥ずかしい気がします。

 

 

 

そして一番わからないのが相談できる人がいなくなる、ということです。

 

これは地域の役員のことだそうです。

 

毎年、地域の組費を集めたり行事だったりを持ち周りで担当することになっていたのですが、そのことを相談したかったそうです。

 

 

家事、育児にすら参加しない父がなぜ相談に乗ってくれると思ったのか。

  

話せば殴られるのに何を相談できると考えたのか。

 

それが分かりません。

 

 

 

ですがこういうところが「この人らしい」と思いました。

 

人目を気にするのに夜中に大声で喧嘩する。

 

自分に暴力を振るう父を当てにする。

 

 

そして母の言葉の中に私たち兄妹のことが 入っていなかったところも「この人らしい」と思いました。

 

関心があるように見えた兄ですら、母の頭の中には入っていませんでした。

 

 

私たち兄妹は二の次、三の次にも入れていませんでした。