母を写した鏡
私が生まれた時、祖父母といえばすでに母方の祖母だけしかいませんでした。
法事の時に数回会う程度でしたが、至って普通の人だと感じました。
私たちが帰るときはティッシュにお札を包んで渡してくれて
「ちょっと少ないけど、これ。またおいで」
と言ってくれました。
しかし私から見た祖母と、母から見た祖母は違っているようでした。
母によると義理の姉ばかり構う人だったそうです。
この義理の姉という人は長男のお嫁さんで、母はその長男とは20ほど歳の差がありました。
祖母の家は農家で畑仕事は長男が中心、家の中のことは長男のお嫁さんが中心になって生活していました。
祖母自身もそのようにして暮らしてきていました。
母がまだ学生の頃、自分も何か手伝おうと畳を雑巾で拭いたことがあったそうです。
するとそれを見た祖母は怒ったそうです。
「畳の拭き方も知らないのか」
そんなことを言うなら教えてくれればいいのにと、母は納得がいかなかったようです。
それでどうなったのかと聞くと、どうにもなっていないと言うのです。
拭き方を教えてもらうこともなければ、反論もせずただ黙っていたそうです。
ただ、その事をすごく恨んでいるようでしつこいくらいに口にしていました。
そして祖母には水子がいました。
母に兄弟は8人いましたが、そのうちの2人は水子でした。
水子はお墓の中に入れてあげられず、墓石のすぐ隣に埋葬していました。
するとその場所を兄が知らずに踏んでしまい、祖母が怒ったそうです。
兄がまだ3歳か4歳くらいの頃のことだったそうです。
水子が埋葬されていることは母自身も知らなかったし、もちろん私たち兄妹も知りませんでした。
そんなに怒らなくたって、知らなかったんだから仕方ないじゃない、と思ったそうですが母は黙っていたそうです。
母はなぜか肝心なところで言葉を言わない人でした。
そして、自分が言えなかった不満を全て私にぶつけていました。
自分は末っ子だったから構ってもらえなかった。
料理も教えてもらっていない。
義理のお姉さんには家の中のことを何でも教えてやっている。
義理のお姉さんの方が可愛いから贔屓をしている。
自分は何もしてもらっていない。
農家である上に兄弟が自分を含めて6人。
末の子供である母にどれだけの時間をかけられたかというと、難しい面もあったかと思います。
なので母にも言い分はあると思います。
そして祖母にも祖母なりの言い分があったかもしれません。
でも、母は気付いているんでしょうか?
祖母が母にしたように、母もまた私に対して同じことをしています。
義理のお姉さんは兄、母は私です。
そして、そのことに気が付きましたが私も黙っています。
理由は母と違うかもしれません。
私が母に何も言わないのは、母に何を言っても黙っているだけだと知っているからです。
子は親を映す鏡だと聞いたことがあります。
まさにその通りだと思いました。